記事の詳細
こんなはずじゃなかった。世の中には、子供が欲しくても授からない人もいる。それがわかっていても…
<スポンサーリンク>
お腹の中にいるのが双子だとわかった当初、
双子というものに対してこれといって喜びも不安も感じなかった。
「双子なの?すごい、うらやましい!」
と言われても「そうかなあ」と思う程度だったし、
かといって「双子は育児大変よ」と言われても「へえ」としか思えなかった。
妊娠自体が初めてだったし、したことのない育児がどう大変なのかわからなかった。
無事に双子を出産し、育児のスタート。
最初のうちは、無我夢中だった。
文字のとおり「寝る暇のない授乳&おむつ替え」。
それでも、無事に産まれてきてくれた命のために、母として出来ることはしなくては、と一生懸命だった。
3か月経ち、6カ月経ち、双子に表情が増え、感情表現が増え。
座り、ハイハイし、歩き出した。
祖父母の手助けが一切無い双子育児。
子供たちは可愛くてたまらなかったが、一晩中続く夜泣きや双子で交代での発熱・体調不良。
夫と2人で疲れ果てていた。
お互いのやり方や考え方の違いなど、些細なことで喧嘩を繰り返した。
怒鳴りあい、離婚について話し合った。
双子が1歳を過ぎた頃、いよいよ限界を迎えて倒れ、入院。
24時間の点滴を受けながら泣いた。
「こんなはずじゃなかった」
子供を持つ決心はしたが、同時に2人持つつもりなどなかった。
いずれもう1人、と思うとしても、何年か先のつもりだった。
『年子育児のほうが大変よ』
『年の差があっても、2人同時に育てる大変さは同じよ』
年齢差のある兄弟は、自分で産みたくて産んだんでしょ。
育児の大変さがわかっていて産んだんでしょ。
私は好きで双子を妊娠したんじゃない。
そんな考えが何度も何度も心を支配した。
双子のことは可愛くてたまらない。
どちらか1人が欠けても嫌だ。
そして、世の中には、子供が欲しくても授からない人もいる。
一人っ子でも年齢差のある兄弟でも、それぞれ違った育児の大変さがある。
それがわかっていても、「こんなはずじゃなかった」と泣いた。
心も体もボロボロだったのだろう。
夫の仕事はどんどん忙しくなり、退院後には家事も育児も私ひとりですることが更に増えていった。
<スポンサーリンク>
なんとか毎日を過ごしながら、双子は2歳を過ぎた。
ある日、家事で忙しくしていると、昼食を終えた双子が台所に入ってきた。
ガチャンッ
「あっ!」
振り返ると、双子が空き皿を持って立っていた。
1人のお皿から、重ねたコップやスプーンが落ちて、床に転がっていた。
母がいつもやっているように片づけようとしたのだろう。
自分のしてしまった失敗を茫然と見ている子供が「しまった」という顔をしていた。
その顔からにじみ出ていたのは、常にイライラしている私への気遣いと優しさから現れる戸惑いだった。
あ~。私はこんなに小さくて、こんなに大好きな子どもに、
気づかないうちに心の負担をかけてたんだ。と気づくと思わず涙が止まらなくなったのだった・・・。
自分でやろうと、
母を手伝おうとしてくれた気持ちが嬉しかった。
でもそれ以上に、失敗したことに対して、
困って動けなくなっている双子の姿を見てなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになったのだ。
「片づけてくれようとしたんだね。ありがとう」
泣きながら抱きしめたら、双子は腕の中でうなずいた。
そして、「ママなかないで」
「なかないで」
と頭をなでてくれた。
双子はもうすぐ3歳になる。
喧嘩もするけれど、お互いに気に掛け合い、とても仲の良い兄弟になった。
双子が大きくなるにつれ、夫とも向き合う時間ができ、怒鳴りあって喧嘩した時間が今では嘘のように思える。
常にイライラし、じっと座っている時間も無く、双子に向き合う時間は全然なかった。
今でも、双子と一緒に過ごす時間は大変な時も多いけれど、「みんなで一緒にする」ことが増えてからずいぶんと楽になったように思える。
一緒に食事し、食器を運ぶ。
洗濯物を取り込んで、一緒に畳む。
夕食のメニューを相談し、双子を連れてにぎやかに買い物に出かける。
あっという間に過ぎていく時間。
この子たちと、あとどのくらい一緒に過ごせるのだろう。
成長し、幼稚園や学校に入れば、親の知らないところで人間関係を作っていく。
今のように一瞬一瞬、たくさんの表情を見ていられるのも、そう長く続かない。
そしていつか自立して、なかなか顔を見ることもできなくなるかもしれない。
今も大変。
これまでも大変だった。
でも二度と戻らない大切な時期。
一番近くにいられるこの時間を大事にしていこう。
やっと、そう思える日々が来た。
引用元・画像:http://koarubiyori.jp/mama/taiken/11594
<スポンサーリンク>
この記事が気に入ったらいいねしてね ❤ (=^ω^)